あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。
多くの民は来て言う、 「さあ、われわれは主の山に登り、 ヤコブの神の家へ行こう。 彼はその道をわれわれに教えられる、 われわれはその道に歩もう」と。 律法はシオンから出、 主の言葉はエルサレムから出るからである。
そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
主はそのみ言葉をヤコブに示し、 そのもろもろの定めと、おきてとを イスラエルに示される。
というのは、わたしたちの主がユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、モーセは、この部族について、祭司に関することでは、ひとことも言っていない。
シオンの娘よ、大いに喜べ、 エルサレムの娘よ、呼ばわれ。 見よ、あなたの王はあなたの所に来る。 彼は義なる者であって勝利を得、 柔和であって、ろばに乗る。 すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
われらの神は救の神である。 死からのがれ得るのは主なる神による。
わたしはわが救を近づかせるゆえ、 その来ることは遠くない。 わが救はおそくない。 わたしは救をシオンに与え、 わが栄光をイスラエルに与える」。
見よ、神はわが救である。 わたしは信頼して恐れることはない。 主なる神はわが力、わが歌であり、 わが救となられたからである」。
つえはユダを離れず、 立法者のつえはその足の間を離れることなく、 シロの来る時までに及ぶであろう。 もろもろの民は彼に従う。
ゼルバベルと氏族の長たちのもとに来て言った、「われわれも、あなたがたと一緒にこれを建てさせてください。われわれはあなたがたと同じく、あなたがたの神を礼拝します。アッスリヤの王エサル・ハドンがわれわれをここにつれて来た日からこのかた、われわれは彼に犠牲をささげてきました」。
シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。 イスラエルの聖者はあなたがたのうちで 大いなる者だから」。
神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。
あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。